岩手・宮城・福島MIRAI文学賞・映像賞

岩手・宮城・福島MIRAI文学賞・映像賞2024
3県のミライを綴る「文学賞」
受賞ノミネート作品

鯨の国
だん がらり

「高松さんって、未亡人みたいだよね」
「え?」
 私は思わずWに訊き返した。震災後舗装され直した小綺麗なアスファルトの上をつるつる走るバスに小刻みに揺られながら、通路側、すなわち隣に座るWの横顔を見つめた。
「なんかほら、アンニュイな感じっていうかさ。あるじゃん、そういう雰囲気」
「いや独身だし結婚なんてしたことないよ… …褒めてんのか?そもそも」
 また適当なこと言って… …と、Wに苦笑を返す。
「それを言ったら、W君は変わらないね。高校の頃から。そのシャツ何年着てるの?」
「これは三代目だよ」
 十一月の東北だというのに水色のワイシャツツ一枚とグレーのパンツという出で立ちの彼は、そう言って微かに口角を上げた。
 目的地の最寄りのバス停である鮎川港は終点であるため、乗り過ごしを気にせずこうして他愛のない話ができるのだ。Wは私の高校の同級生であり、私が打ちのめされた人物である。文学と哲学に造詣が深く、成績優秀だった。いや、優秀という言葉では語弊があるかもしれない。彼は定期考査でいつも学年一位の成績を収めていて有名人、ユーモアアもあり同級生の間で人気者だった。そんなWに俳句が行き詰ったので吟行に付き合ってほしい、と突発的に連絡を取ったのも、顔を合わせるのも実に約十年ぶりのことであった。Wがかつて、別の友人に「俺は将来芥川賞を獲るんだ!」と息巻いていたのを私がネチネチと覚えていて、やはり文学、文芸についてはWに相談するのが良いだろうと思ったからだ。そのことをチャットアプリでWに指摘したところ、「言ったっけな、そんなこと」と、なんだかぼんやりした返答だった。
「W君って今何やってんの?」
「アーボリストの見習い。あ、アーボリストって知ってる?」
「うーん… …知らないな」
 アーボリストとは、樹木の伐採から管理、保護まで行う樹木管理の専門家のことらしい。Wは私の知らない世界を、いつも知っている。
 会話に一つの区切りがついて、窓側に座っていた私はぼーっと外を眺めた。港に近づいているからか、時折山間に海が見えた。
「ご乗車ありがとうございました。次は終点、鮎川港です。… …」

 車内に女声のアナウンスが流れてバス停に停車したのを合図に、二人立ち上がる。今回は私のわがままに付き合ってもらっているので、バス代含め必要な費用は全て私が請け負うと約束した。Wは「お、い
いの?ありがとう」と半ば棒読みで言った。Wは昔から感情の表現が乏しいというか、努めて感情を昂らせないようにしているように見える。バスには私とW以外誰も乗っていなかった。平日の昼間だからだろう。二人分の運賃をまとめて支払って、牡鹿の地に降り立つ。探す間もなく、バス停の向かい側に目的の施設— —ホエールタウンおしかがそこに建っていた。建物の緩やかな弓形が、海原を大きく旋回する鯨のようだ。
「結構海風強いね。寒くないの?」
 相変わらず薄着のWに訊ねる。財布やスマホなどの貴重品はポケットに入れているのか手ぶらで、上着なんて持っていない。
「うん、ちょうどいい」
 潮の香を乗せた風がWのシャツをはためかせる。対してダッフルコートを着ている私は、見ているだけでうっすら寒気を感じた。
 ホームページによれば、ホエールタウンおしかはおしかホエールランド、牡鹿半島ビジターセンター、観光物産交流施設Cottuの三つの施設から成り立っているという。私たちはビジターセンターから見学することにし、入口の自動ドアをくぐった。
 ビジターセンターの中は木を基調とした造りになっており、暖色の照明が柔らかな空気を演出していた。外の海風の冷たさとは対照的に、牡鹿の文化の暖かみを感じられる空間だ。私は早速、この印象を句としてスマホのメモ帳に書き留めた。

寒潮や文化の余熱血が通う

「お、一句できたんだ」
 スマホの画面を凝視する私の沈黙を破るように、Wが画面を覗き込む。
「うわ、やめてやめて」
 咄嗟にスマホをスリープモードにし、彼から離れた。Wは少し呆気にとられた顔をして私を見ている。
「見してよー」
 その場から動かず、声だけを投げかけてきた。それでも私は苦笑しながら首を横に振った。

「W君の小説見せてくれるなら、こっちも見せるよ」
と言うと、今度はWが首を横に振って、
「俺は大学に行って文学より哲学の方に傾いたから。もうそういうのはやってないんだ」
と断られた。
「そっかー」
 高校の頃にもっと話せていたら、Wの作品を目にできていたのかもしれない。残念だ。「そういうの」をやっていないWを尻目に、各々でビジターセンター内を見学する。
 定期的にワークショップが施設内で行われているらしく、私たちが訪れた際には、牡鹿で用いられる、鯨に関する独特の語彙についての展示がなされていた。言葉の展示とは、俳句詠みの端くれとして創作材料にせずにはおれない。単語が書かれたカードを捲ると、そのニュアンスを説明する文が載っているというものだ。その中に一つ、気になるものを見つけた。同時に、
「あ、高松さんいるじゃん」
 いつの間にか隣にいたWが「タカマツ」と書かれたカードを指さす。
何のことだか全く予想のつかない言葉だ。裏に返すと、「シャチのこと」と、シャチのかわいらしいイラストと共に書かれていた。
「へえ、高松さんシャチだったんだ。シャチっぽいもんね」
「また適当なこと言って… …」
 流石に自分の名前を句に入れ込むのは恥ずかしいので、他の語彙を探す。ブローは潮吹きで、さえずりは鯨の舌、白手は鯨の内臓なのだという。

 ドライヤー熱き潮吹く鯨かな
 疑惑法鯨の舌に四分音符
 初鯨白き鰭手話で「おはよう」

 鯨に関する語彙の展示のほかにも、牡鹿半島の自然環境、牡鹿で暮らす人々の食や自然の中での遊び、仕事など、牡鹿の民俗を網羅するような情報が分かりやすく展示されていた。二人とも一通り見学を終え、続けて隣接するおしかホエールランドに入っていった。
 受付で大人二人分の入場券を購入し、パンフレットを受け取って施設の奥へと進む。すると目の前に巨大な鯨の全身骨格が現れた。説明文によると、マッコウクジラの標本らしい。何だか生物というよりも、もっと脅威的な兵器、魚雷のような印象を受けた。
「なんか、魚雷みたいだね。生物っていうよりもさ、もっと怖いものに見える」
「生き物は怖いもんだよ」
「そっか」
 並んで見ていたWに言われて、すんなり腑に落ちた。そうだ。生き物は本来、ホモサピエンスも含め、他の種にとっては大抵怖いもの同士なのだ。そういえばタカマツ— —シャチて、確か鯨の天敵だったな。ホエールタウンおしかという施設において、私は結構アウェーな存在なのかもしれない。

 武器商人抹香鯨取引す
  魚雷・抹香鯨なり助からぬ

 ビジターセンターではそれぞれのペースで見学していたけれど、ホエールランドでは二人並んで見学している。ホエールランドは順路がほぼ明確に定まっているからだろうか。順路の途中で、シアタールームという部屋があることに気づいた。
「いいね、こういうの」
 Wが呟いて、ぬっと薄暗いシアタールームへ靴を脱いで入っていく。私もそれに続き、靴を脱いでぬっと暗闇の中へ溶け込む。鯨の美しい映像や音楽、そして鯨の歌声が感情を煽り立ててくる。小さな劇場内
に並べられた小さな椅子に、二人並んで座って映像を観ている… …。
 宮城県に生まれ、宮城県の高校に入って間もない頃、自分は比較的勉強ができる方だと思っていた。それまで挫折を経験したことがなかった故の、そして内向的で人との関わりに消極的だった故の無知と傲慢だ。それがWの賢さと人望によってすべて打ち砕かれた。
 私は本来、性格上、Wとは友人にならないまま生きていくタイプの人間だったと思う。偶々所属することになった部活が一緒で、演劇部だったのだ。ある時の台本で、Wが私の息子を演じた。それで、息子の「だって俺たち、鯨じゃないか。この町に居続けることなんてできないよ」という台詞が、何故かものすごく印象に残った。その頃からぼんやりと、役に関係なく馬鹿真面目に「生まれ変わったら鯨になりたいなあ」と思うようになった。陸地には居場所が無い、息苦しいと思っているのかもしれない。鯨のように、世界の海を、国境など関係なく、悠々と泳いだり潜ったり、歌を歌ったり、時折人間たちに尾ひれを翻して挨拶をしたり。来世はそういう生き方がしてみたいと思っている。
 映像と音響がフェードアウトして、作品の終わりを告げる。時間にして五分程度だったはずなのだが、まるで一本の映画を観たような満足感があった。移動しようとしてふとWの方を見遣ると… …特別変わった表情はしていなくて、いつも通り”虚”の顔をしていた。二人示し合わせたかのように無言で立ち上がり、シアタールームをぬっと出た。昼下がりの明るさが久しぶりのような気がして、目を細めた。

 分かり切る前に居なくなるな鯨

 シアタールームの先の順路を進むと、人々と鯨との関わりについて知ることのできる動画が再生される展示がいくつかあった。その内の一つ「牡鹿鯨まつり」を取り上げた動画で、ある言葉が印象に残った。牡鹿鯨まつりは、海難事故者の慰霊と鯨霊供養に端を発するという。「鯨霊」。調査・商業問わず、牡鹿の人々が捕えた鯨たちを弔ってきた事実に衝撃を受けた。それだけ牡鹿の人々にとって鯨は、魂を大切に扱う、特別でありふれた存在だったのだ。

 あの雲も牡鹿の鯨霊だったのか

 順路も最後の方に差し掛かると、今度は最初に遭遇したものよりも小ぶりな鯨の骨格標本が展示されていた。コククジラの子供の全身標本で、解説文によればコククジラは、最も絶滅の危機に瀕した種なのだという。
「自然環境の変化で絶滅に瀕するんじゃなくて、乱獲が絶滅の主な要因となると、人間のせいでしかないよね… …」
 一緒に展示を見ていたWに投げかけた。
「人間と自然っていう分け方がそもそも変かもね。人間も自然のものなのに。まあ、バランスの問題なんだろうね」
 標本を見上げながらWが独り言のように言った。親子で捕獲されたこのコククジラの母親は、東京の大学の施設で展示されているのだそうだ。

 克鯨母の東京土産無く
  克鯨娘の頭このかたち

 順路の終わりに置いてあったスタンプ台で、パンフレットに記念スタンプを捺す。そろそろ良い時間になってきたこともあり、ホエールランドを出た。
「Cottuの中に食堂あるみたいだよ」
 と、Wに昼食を促す。Wが、おー、とぼんやりした返事を返したので、
「見てみよう」
 とさらに促したところで、Wはやっと歩き出した。ホエールタウンおしかはビジターセンターを真ん中に置き、Cottuとホエールランドが東西に隣接されている。よって私たちは、一度ビジターセンターを通り抜けてCottuへと向かった。外から直接Cottuに入ることもできるのだが、いかんせん寒い。
 十三時を過ぎたからか、施設内も食堂も賑わっている。私たちは一通りお店を見て回って、結局一番ビジターセンターに近い食堂に入った。鯨の竜田揚げ定食と鯨の味噌焼き定食の食券を買った。温かいお茶と水はセルフサービスなので、私は二人分のお茶をポットから注いで、空いている席に座る。
「高松さんは何で牡鹿で取材しようと思ったの?」
「うーん… …鯨が好きなのが一番の理由で… …鯨の俳句をちゃんと詠みたいと思って。あとは、一旦今住んでる埼玉から距離を置きたくて、有給取って来た。まさかW君と一緒に来ることになるとは思ってなかったけど」
「そうなんだ。今何やってんの?」
「え?普通にOL。あと趣味で俳句」
「楽しい?」
 Wにこのように色々と問い詰められるのは初めてかもしれないと思って、少し戸惑いながらお茶を一口飲んだ。
「仕事に楽しいとか無いでしょ。俳句はまあ、上手くいけば楽しい。W君は楽しいの?」
「W君は楽しいよ、オフィスワークできるような性質じゃないから。俳句はやったことないけど」
「そっか」
 高校の頃から変わらず、勉強にしても仕事にしても、Wは”今”を一生懸命に生きられる人なのだ。私はそれが羨ましかった。だから私は「W君も俳句やってみればいいじゃん」とは言えなかった。Wが本当に俳句を詠むようになったら、私より上手くなってしまうのは明確だから。
「お待たせしました、竜田揚げです」
 店主と思しき男性が定食の乗った盆を両手に一枚ずつ持って私たちのテーブルの傍に現れた。竜田揚げを注文したのは私だったので、小さく手を挙げる。私の前に竜田揚げ定食の盆が置かれると、こちら味噌焼き定食です、とWの方にも盆が置かれる。
 店主が厨房に戻ったのを確認した後、両手を合わせて「いただきます」とめいめいに言う。鯨は学校の給食にも出ていたので食べたことは何度かった。しかし、久しぶりに口にすると、仄かな磯の香と柔らかな、しかししっかりと繊維を感じる肉質が癖になる。片栗粉の衣もさくさくで、下味も鯨の風味を邪魔せず美味しい。白米とお味噌汁が進む。

 相槌にさくさく鯨の竜田揚げ

 昼食を食べ終え、腹ごなしに港周辺を散歩することにした私たちはCottuを出た。建物の中に居たのと展示に注目していたのもあって、天気をまったく気にも留めていなかったのだが、少し太陽に雲がかかって薄暗くなっていた。
 施設の外、海との間の敷地に、ホエールランドのパンフレットに載っていた捕鯨船・第十六利丸がある。甲板に上れるそうなので、二人で上った。
「俳句は上手くいったら楽しいってさっき言ってたけど、今回はどう?」
 第十六利丸で上れる一番高いところ、捕鯨砲台に上ると、Wが訊ねてきた。しばし海を眺める。捕鯨砲台まで上るのとほとんど同時に、晴れ間が見えた。水面も蒼く輝いている。
「うーん… …。ごめん、嘘」
「え?」
「俳句、楽しくないかも。何でやってんのか分かんない」
「そうなんだ」
 暫く二人で沈黙して、海の向こう、薄く白んだ網地島に目を遣る。風が強い。潮の香も、段々と強く濃くなってきている気がする。
「何で俳句詠むようになったの?」
「コロナ禍でさ、時間できたし。何か新しい趣味見つけなきゃって思ってたかも」

 Wが聞いているのかどうかに関わらず、自然と言葉が溢れて来る。
「小学校の頃の友達がさ。すごく絵が上手で、仲良かったんだ。あ、私の方は絵はからっきしでね。で、色々あって疎遠になっちゃったんだけど、その子の横に並んでいられるように、何か作り続けないとっていう気持ちが、今でもずっとあるかも」
 灰色の、夢ともいえなくなってしまったわだかまりや、未練や、執着といったものが、紺色の深い海の色に染まっていくのをじっと待つ。
「そういうことなら、俳句はやめない方がいいね」
「そうなのかなあ。… …桟橋の方行ってみようよ」
 私はもっと海に近づきたくなって、Wを桟橋へ誘った。
 第十六利丸を下りて、鮎川港の桟橋へと向かう。綺麗に整備された芝生やコンクリートを踏みしめて、渚がどんどん目前に迫る。
 桟橋の一番突き出た所に二人で立ち、真向いから吹き付ける海風を浴びる。
「あーー、鯨になりたい」
思わず直情的な言葉が漏れる。
「高松さんはシャチでしょ」
「シャチだからなりたいんだよ、なれないから」
  そう言うとWはへへ、と、今日初めて声を出して笑った。

 魂のなりたきかたち初鯨

「そろそろ行こっか。もうちょっとでバス来る時間だし」
 スマホに俳句を書き留め、ふと画面の時間を見ると、帰りのバスの時間まであまり余裕が無かった。
「いや、俺は乗らない」
「え?」
 Wの言葉の意味が分からなかった。他の交通機関で帰るのか?このまま牡鹿に泊まるのだろうか?
「これ逃したら次の便夜まで無いよ?」
「うん。乗らない」
「あ… …そう。分かった」
 色々と気になることが一気に湧き上がってきたが、バスまで時間が無い。私はWの言葉を呑むしかなかった。
「色々言ったけど、とりあえず俺は、高松さんは俳句を詠むべきだと思う」
  優しい捨て台詞のようにそう言ったWを見て、
「ありがとう。じゃ、また」
 私は桟橋を離れ、バス停へと向かった。時々後ろを振り返ると、桟橋の先端に居るWがこちらを見守っているのが分かった。

 冬の波かつての友を置いて行け

 私一人だけを乗せたバスが、鮎川港を始点として、終点の石巻駅前まで走った。途中誰も乗ってくることはなかった。ずっと一人だった。

 後日、埼玉の自宅に帰ってから同級生に聞いて知った。Wは大木の伐採中に高所から転落して、十月に亡くなっていたらしい。
 最初から私は、Wを象った鯨霊と話していたのだろう。何となくスマホのメモ帳にまとめていた、牡鹿で詠んだ句たちを、紙のノートに万年筆で書き連ねてみる。
 全て書き終えて、ぱらぱらと初めから終わりまでページを捲り、句を眺める。そして心の中で断言した。
  この連作は駄作で、そして大切だ。
  焦らなくて良い。初心に返って、俳句の作り方を学ぶところから再出発だ。この連作をもっと推敲して、納得いくものになってから応募しよう。
 俳句に行き詰まった時、鯨の国— —牡鹿へ行けば、彼にまた会える。