岩手・宮城・福島MIRAI文学賞・映像賞

岩手・宮城・福島MIRAI文学賞・映像賞2022
3県のミライを綴る「文学賞」受賞作品

ながれる
佐藤薫乃

 まぼろしの味は三つ。まずは夜中のおさしみ、そして熱のときのポカリ。あと、もう一つはなんだったっけ。
「やっぱり海辺のレストランはすごいのねえ、豪華なお魚がたくさん。どれにしようかなあ。迷っちゃう」
 はしゃいだ声をあげながら、夢中でメニューをめくる母の手元をぼんやり眺める。焦点は定まらず、すべての輪郭が適当にぶれてにじんでいた。夕食時だが、個室に区切られた店内は小綺麗な静けさに満たされており、ほかの客の気配をずっと遠くに感じる。
 おさしみ。ポカリ。おさしみ。ポカリ。あともう一つ、なんだっけ。くたびれたイメージの煙がふわふわ満ちる頭の中で、どうでもいいことをずっと考え続けている。
「決めた。お母さんこれにするね。翔太は?」
「うん」
 力のこもらない返事を適当に返しながら、僕の視界はようやくフォーカスを取り戻す。母が指さした写真は「かき尽くし御膳」、値段は二千五百円。そうしなさいと言われたことなんか一度もないのに、無意識に、母が選んだものより安いものを探している。子供のころからの変な癖。
「なんでもいいからね。せっかく来たんだから、思いっきり贅沢しよう」
「うん」
またからっぽの返事をしながら、僕の胸はどうしてもむなしさで湿る。
せっかく来たんだから、思いっきり贅沢、させてあげたかったなあ。
今夜泊まる予定の大船渡温泉は、豪華な「漁師めし」が有名なところらしかった。事前に見てきたホームページに、そう書いてあった。一万五千円の晩ごはんを二人分、そのくらい、僕が簡単に払えるはずだったのにな。つくづく情けなくて、とてもきまりが悪い。
たぶん、母の金銭感覚からすると、宿の食事は少し高い。だからこうして、かわりに近くの海鮮料理屋に来ている。
ごめん。二十五歳にもなって、ちっとも親孝行してあげられないような僕で。まさかこんな歳にもなって、無収入で、平気で親に養ってもらっているなんて。こうやってたまの旅行にきても、全部母親に支払ってもらうような大人になってしまうなんて、学生のころには想像もしていなかった。
「じゃあ、この「しおさい御膳」。これにする」
「いいの? もっと高いのじゃなくて」
「いいってば」
 ブルーな内心とは裏腹に、思わず声がとがってしまう。そう、と少ししゅんとしたように母はこたえて、お願いしまーす、とよく通る高い声で店員さんを呼んだ。
お願いしまーす。口には出さず、胸の中でだけ小さく真似してみる。人前で大きな声を出すことは、僕がとても苦手なことの一つだった。おはようございまーす。よろしくお願いしまーす。二年だけ勤めていた東京の会社では、挨拶の声が小さいと、いつも上司に注意されていた。
こうしてみると、店員さんに声をかけることすら苦手な器で、社会人なんて務まるはずがなかったようにも思う。
「ええと、私はこの、かき尽くし御膳と、それから、このしおさい刺身御膳と、あと」
 やってきた店員さんに注文を伝える母が、ふいにメニューブックを後ろのほうまでめくり始めたので、僕はにわかに焦ってたずねる。
「何? どうしたの」
「翔太、お酒も頼みなさいよ。せっかくいいお魚をいただくんだから、ほら、日本酒も」
「いらないってば」
「いいじゃない。じゃあこれ、陸前高田の、「酔仙」っていうの? これ一合、ください」
 半ば強引に注文されてしまって、僕はどうしてもむっとしてしまう。初めて聞く名のそのお酒は、一合で千四百円もするらしい。
「いらないっていったのに」
「ごめん。でも翔太、お酒好きでしょう。お母さんが飲めないからって、遠慮しなくていいんだからね」
 違うのに。僕がひたすら気にしているのは、全然そういうことじゃないのに。二十五歳の無職の男が、親のおごりでお酒を飲むこと、それが、どれほどばつの悪いことか、母には全然わかっていない。僕は決して、この場面で楽しく飲めるような身分ではないのだ。同じく、明るく楽しく旅行できる身分でもない。これほど明白な痛みが、どうしてこんなに伝わらないんだろう。
「でも、やっぱりいいね、たまに遠出すると。おんなじ岩手なのに、盛岡と沿岸じゃ、全然景色が違うんだもの。おもしろいわぁ」
おぼつかない手つきでスマートフォンを操作しながら、母は、先ほど撮ったばかりの動画を再生してこちらに向けた。
「よく撮れてると思わない? お母さん、携帯でビデオなんて初めて撮った。スマホのカメラってすごいのね。あれ、あれっ、音が出ない」
「貸して」
 どうしてもぶっきらぼうな口調になってしまい、自分でもあきれる。これじゃまるで思春期の男の子だ。なんでもっとちゃんと、まともな大人の息子みたいにふるまえないんだろう。自分で自分が嫌になる。母のiPhoneに軽く触れ、動画の音が出るようにしてやる。
「おお、ありがとう」
 たったこれだけの操作ができないくらい、僕の母はもう、老いているのだ。だからもっとちゃんと、頼れる息子になりたかったのに。あまりに幼い自分の実像がしみじみと悲しく、やるせない。
「へえ、波の音がきちんと聞こえる。ドーン、ドーンって。翔太もほら、聞いてごらん」
 大船渡の観光名所、碁石海岸の映像。どのパンフレットにも、一番目立つように載っていたから、ここへ食事に来る前に、母と一緒に見に行った。ついさっき実際に見たばかりだから、さほど関心もなかったけれど、とりあえず、勧められるまま画面をのぞく。
 びゅうびゅう、ざらざらざら、ごう、ざらざらざら。
動画の中では、ライトブルーの荒波が、きりりとそびえたつこげ茶色の岩壁に激しくぶつかっては揉まれ、白く泡立ちながら揺れていた。光景としてはとても雄々しく、猛々しい迫力があるのに、明るい水色に清廉なホワイトの泡が入り混じる海の色は妙にメルヘンで、そのミスマッチなとりあわせは、可愛らしいぶん、不気味にも見えた。なにか底知れぬ巨大なスケールの自然を垣間見たような気にさせられる。内陸で生まれ育った僕にとって、海の武骨な息吹を直接目の当たりにしたのは初めてのことだったので、なんだか恐ろしかった。手ブレで揺れるムービーを見ながら、現地で感じた畏怖を思い返す。
「ほら、ドーン、ドーンって。雷岩っていったっけ。音、聞こえるでしょ?」
そうしているうちに、個室のふすまが横に開いた。
「お待たせしました。お先に「酔仙」でございます」
 はじめにお酒が運ばれてきて、ほどなくして、食事も出そろった。
「すごーい。とっても豪華」
母は大いにはしゃいで、スマホを一生懸命あちらこちらに傾けて写真を撮っていた。僕はなんだか気恥ずかしくて、自分の携帯でも写真を撮る気にはなれず、ただ、喜ぶ母の様子をぼうっと眺めていた。
たしかに豪勢な食卓だった。特に、母が注文した「かき尽くし御膳」は、カキフライに牡蠣の天ぷら、牡蠣鍋、そしてもちろん、レモンののった生牡蠣など、本当に牡蠣づくしで、夢のようにおいしそうだった。なにより、それらのメニューを前にした母の表情が、まるで少女のようにきらきらと輝き、みずみずしい期待に満ちていて、切ないくらい愛らしかった。
母は昔から、牡蠣に目がない。めったに食べられない大好物が目の前にずらりと並んだ光景は、僕からしても幸せなものだった。思わず「よかったね」とつぶやくと、うなずきながらこちらを見て、丸い頬にこぼれおちんばかりの笑顔を浮かべ、心底嬉しそうに、「本当に、これてよかったわぁ」と感じ入るように言うのだった。
「翔太のほうもおいしそう。豪華でありがたいね。いただこうか」
 僕が注文した「しおさい御膳」は、おさしみをメインにした定食だった。つやつやに粒が立った純白のお米、三つ葉の浮かぶお味噌汁、おひたし、お漬物に、わかめの入った茶碗蒸し。長方形のお皿に並んだおさしみは、まぐろ、つぶ貝、かんぱち、そい、ほたて、たこ、めかぶ。華やかで、贅沢なメニュー。
どれから食べるか迷って、やっぱりまずは、まぐろを食べてみることにする。分厚くカットされた赤身は、表面に銀の粉をごく薄くまとったようにきらきら光って見える。あたりまえかもしれないけれど、普段、コンビニの弁当売り場で見慣れた寿司のまぐろとは、まるで様子がちがっていた。
「ほらほら、これと一緒に」
 僕がまぐろを口に運んだのを見て、母が慌てたようにお猪口に日本酒を注いだ。本当はお米と一緒に味わうつもりだったけれど、勢いに押されて、まぐろのあとにお酒をきゅっと流し込んでみる。
「どう?」
「うん。おいしい」
 すごく、と付け加えようとしたけれど、なんだか照れて、また押し黙ってしまう。こんなにぶっきらぼうにしか答えられないのに、母はとても嬉しそうに微笑んで、何度も何度もうなずいた。
「そうでしょう。絶対おいしいよ。新鮮なお魚には日本酒なのよ、やっぱりね」
 自分は下戸で飲めないくせに、この人はなぜかいつも得意げにお酒を語る。
たしかに、酔仙は生魚にとてもよく合った。少し辛口のお酒で、おさしみが連れてくる海の味をまるごと包み込み、綺麗にまとまった一つの味の帯になって、食道へつるりと流れていく。まぐろは不思議にコクがあり、よく噛んでから飲み込むと、舌先にさっぱりした油の甘みが残って、たまらない余韻が残った。
「すごく嬉しそう」
 母はそう言うと、生牡蠣を、じゅるん、とすすって食べた。
「誰が?」
「翔太が。おさしみ、大好きだもんね」
「……まあ、そうだけど」
おさしみ。僕は今、おさしみを食べているのだ。ふいに実感して、生魚が抱いているまろやかな磯のうまみを、尊い宝物のようにありがたく感じ入る。
ここから遠い、遠いところにある真っ暗な部屋で、あの頃の僕が、こちらをじっと見ている。
まぼろしの味は三つ。またしても、なんとはなしにふと思い出す。まずは夜中のおさしみ、そして熱のときのポカリ。
あと、もう一つはなんだったっけ。

 大船渡温泉は、想像していたよりもずっと大きい建物だった。ロビーにあがり、スリッパに履き替えて、フロントでチェックインする。
 部屋は別々にとってある、ということを僕はそのときに知って、内心、かなりほっとした。母と二人で旅行するなんて、考えてみれば小学生のころ以来だったから、通常、二十五歳の息子とその母が一室に泊まるものなのかどうか、僕には正直、よくわからなかった。母とは不仲ではないにしろ、ここ最近は、主にこちらに原因があって、ほとんどまともなコミュニケーションをとっていない、というか僕がきちんと返事をしていない。そんな現状で、夜通し母親と二人っきりなんて、耐えられる気がしなかったから、部屋で一人になれるのはありがたかった。
「お風呂、何時にいこうか」
 カードキーを受け取り、エレベーターで部屋に向かう途中で、母がのんびりと尋ねた。
「……それぞれでいいんじゃないの」
 母はすぐには答えなかった。お互い黙っているうちに、エレベーターは宿泊する階に到着してしまい、気まずい沈黙のまま、僕たちは五階に降りた。
「……そうだね。たしかに、どうせ別々のお風呂に入るんだし、待ち合せなくてもいいか」
「うん」
 うん、じゃない。そういうことじゃない。わかっている。僕だってもちろん、わかってはいる。一緒に旅行するって、たぶん、こういうことではない。男湯と女湯にすぐに別れてしまうにしろ、お風呂には一緒に行くべきなのだ。何時ごろに出るね、とか和やかな約束をして、あがったら、一緒にベンチにでも座って、お湯の感想を語りながら、冷たいお茶を飲んだりする。きっとそうするべきだし、僕だってできることならそうしたい。
でも、今はまだ、どうしても難しいのだ。まっすぐに母に向き合うことは、とてもじゃないけどできそうにない。当たり前みたいな会話のやりとりが、なぜかどうしても難しい。だから、よくないとわかっていながらも、いちいちつっけんどんな態度をとって、母を遠くに突き放そうとしてしまう。もういい大人が、本当にかっこ悪いけど。
「明日、どこか行きたいところある?」
 隣り合った部屋の前に到着し、母が聞いた。
「……別に」
 こんな、冷たく乾いた返事がしたいわけじゃないのに。違うのに。ごめん。今日の碁石海岸、面白かったし、おさしみもおいしかったし、温泉だって、それなりに楽しみにしてきたのに。なんでこんなにひどい言葉しか出てこないんだろう。でも、こういう返し方以外に、今の僕には選択肢がない。どうしても、ないのだ。なぜなのかは自分でもわからないけれど。
「そっか。じゃあまた明日、考えよっか。朝ごはん、七時に行こうね」
「……うん」
 あの、ごめん、と、声に出せるはずのない無音の言葉が、それでも重たく胸につかえて、苦しくて、言えないまま、僕はただ、廊下をぼんやり見ていた。
「おやすみ」
 母は少しだけ寂しそうに微笑んで、自分の部屋に入ってしまった。

 部屋は畳敷きのコンパクトな和室で、その秩序立った美しい空間に、僕は小さな感動すら覚えた。座椅子、座卓、その上にはお茶、ポット、湯呑み、お茶うけのうにせんべい、テレビとエアコンのリモコン。部屋の中央には布団が一枚、どんと敷いてあった。
必要なものが、必要なぶんだけ、あるべき場所に整然と配置されている。部屋を構成する一つ一つのパーツが、僕という存在の混沌にさえも、ある程度の体系を与え、正そうとしてくれているような、明るい頼もしさがあった。隙なく整えられたすべての箇所がとても嬉しく、またありがたく思われて、僕は思わずスマホを取り出し、部屋の写真を何枚もとった。
自分でもひねくれすぎていると思う。一人になれば、こんなにもたくさんシャッターを押したいのに、母と一緒にいるときはなぜか、恥じらいが邪魔をして、結局、一枚も撮れなかった。小さな子供同然に親の世話になっているくせに、素直さだけが欠落しており、本当に情けない大人になってしまった。
 自己嫌悪を身体いっぱいに抱きかかえ、その重みに耐えかねて、ごろんと布団に横になる。途端に、体内を這う神経の隅々から、例の罪悪感がぐつぐつと沸き上がり、たちまち僕は腐敗してしまう。こんなところにいていい身分じゃない。贅沢できるような立場じゃない。自分が、ただのでくの坊にしか思えず、身体が「在る」ということ自体がきまり悪く、どうしようもなく辛くなって、よろめきながら立ち上がり、部屋の電気をぱちんと消した。せめて、自分で自分の姿が見えない状態にしたかった。完全に「なく」はなれないけれど、少なくとも、その状態に近づいていないと気がふれそうだった。
 真っ暗闇の中で、再び布団に横になる。iPhoneのディスプレイだけが白く光っている。
 特に何も考えなくても、指は手癖でするする動く。
 そこには本当に、まったくなんの感情もない。ただ、自分以外の誰かの近況を眺め、文字通り右から左に流す。ただ流す。何かを得るわけじゃない。そもそも何も期待していない。ただ、「流す」という作業が、僕にとっては重要なのだった。ひたすら停滞し続ける僕自身を、どうにかしてどこかへ、ここではない別のどこかへ運んでほしくて、自分を、なんらかの流れに巻き込んでほしかった。現状、その「流れ」を叶えてくれるのは、中身のないインスタのストーリーズであり、斜め読みするTwitterのタイムラインであり、TikTokのレコメンド欄だった。すべて意味はない。受け取るものはほとんど何もない。それでも、流れている、流すことができる、という感覚だけが、僕を支えてくれているのは事実だった。
 インスタを見て、飽きたらTwitterを見て、それにも飽きたらTikTokを見て、飽きたらまたインスタに戻る。繰り返し繰り返し。せっかく久々に旅行にきたのに、結局そうやって時間を流す。そうすることでしか、自分自身という存在の不快をごまかすことができない。僕の時計は、もうずっと止まってしまっているのだ。

 気づいたらスマホを握りしめたまま眠っていて、目が覚めると、深夜の二時半を少し回ったところだった。
 そういえばまだ温泉に入っていない。もうこのまま熟睡してしまいたいという思いもあったが、せっかくの温泉を体験せずに朝を迎えてしまうのはさすがに惜しく、また、この時間ならばおそらくほかに人がいないだろうから、いいタイミングのようにも思われて、僕は入浴の支度をすることにした。
 タオルと着替えを持ってエレベーターに乗り、一階に降りる。予想した通り、温泉には僕以外の人は一人もおらず、貸し切り状態だった。これこそが贅沢、なのかもしれないが、僕は本当に怖がりなので、正直、誰もいない大浴場は少し怖かった。
 服を脱いで、スライド式のガラス扉に手をかける。ドアには貼り紙がしてあって、そこに、「明日の日の出時刻:六時二十四分」と書いてあった。そういえばこの掲示は、フロントにも、エレベーターを降りたところにも掲示してあり、知らなかったけれど、どうやらこの温泉は、日の出を見られるスポットとしても有名なようだった。
ドアの先はあまりに真っ暗だったので、もしかすると今の時間は入ってはいけないのかも、と一瞬不安に思ったが、実際に中に入ってみると、お風呂にはきちんと電気がついていた。
がらんどうの洗い場には、プラスチックの風呂椅子と洗面器がずらりと並び、大きな浴槽が二つあった。一つは水色のお湯、もう一つは深い茶色のお湯で、水色の方と比べると少し小さいこちらは、ぬるま湯と書いてある。
 髪も顔も身体も、はじめにすっかり洗ってしまい、満を持してお湯につかることにする。
 はじめに、水色のお湯を選んだ。足先をそっと入れてみると、ずん、と激しい熱が皮膚にぶつかる。えい、と全身で一気につかると、熱は一つのかたまりになり、また、ずん、と僕の表面に思い切り衝突した。その刺激は心地よくのびて広がり、やがて体温とお風呂の温度がまざって、ほどけて、一体となる。
それは、僕の身体そのものが、お湯にするすると溶けていくような感覚でもあった。そしてそこには、軽い衝撃のようなものすらあり、すなわち僕は、お風呂がこんなに気持ちいいなんて、まるで初めて知ったかような新鮮さに驚いていた。
するする。何かが溶けていく。大きなお湯のかたまりの中へ、確実に、何かが溶けだしていく。半ば液体化した僕は、ゆらゆら、左右に揺れてみながら、ぼんやり天井を見上げる。何を見るともなく、あえて焦点を合わさずに、何かを見ようとしてみる。
おさしみ。ポカリ。おさしみ。ポカリ。
まただ。でどころの不確かなゆるい単語が、また適当な存在感で僕を満たす。おさしみ。ポカリ。おさしみ。ポカリ。透明に揺れるお湯に目をやる。今、僕がずっと抱え込んできたおさしみとポカリが、やわらかい液になって溶けだしていく。
今日、おさしみを食べたんだよなあ。それは僕にとって、特別な感慨をもたらしてくれる、大切な事実だった。
大学を卒業してから二年間、僕は東京の証券企業で働いていた。正直、就活には勝ったと思っていた。エントリーシートも面接も得意だったから、わりと簡単に、希望する会社に入ることができたし、まわりの友達には決まって羨ましがられた。実際、お給料もよく、事業の将来性や安定性の面でも申し分なかったので、いい会社だったのだと思う。
ただ、それだけだった。いい会社に就職できたこと、イコール、僕が優秀であるということ、とはならないらしい。そのことにようやく気が付いたのは入社してから半年ほどたったころで、そのころの僕は、同期の誰と比べても、ずば抜けて落ちこぼれていた。あらゆる業務の要領がつかめず、物覚えも極端に悪かったから、日に日に孤立してしまった。だんだん人と目を合わせることが怖くなり、日中はいつも緊張していて、何も食べる気がしなかった。
あの頃、ようやくおなかがすくのはいつも真夜中で、食べたくなるのは決まって、大好物のおさしみだった。
でも、おさしみは、夜中では手に入らない食べ物なのだ。そのことを、僕は就職してから初めて知った。東京には、夜どおし空いているコンビニなんて星の数より多くあったし、二十四時間営業のスーパーだってどこにでもあったけれど、そのどこでも、おさしみは売られていなかった。鮮度が大事な商品だから、朝入荷されたものは、夜にはすべて売り切ってしまうか、廃棄してしまうかのパターンが多いようだった。
夜中のおさしみ。それは僕にとって、まぼろしの食べ物で、あの頃、あの真っ暗い部屋で一人きり、恋焦がれた味の一つだった。熱のときのポカリも同じ。一人暮らしで熱を出したとき、ポカリが飲みたい、と思って、でも、買いに行くような元気はないから、結局、遠くにあこがれるだけのまぼろしの味。
あのころ、あんなに遠かったおさしみ。今日は久々に食べられた。しかも、お母さんと二人で食べた。嬉しかった。本当に幸せだったと今さらかみしめる。
身体がじゅうぶん温まり、ぽかぽかと全身がほどけてきたので、露天風呂にも行ってみることにした。
ガラスのドアを開け、野外に出ると、木製の柵ごしに、墨を流したような暗闇が広がっていた。冬の始まりの冷たい空気が、ほてった体をほどよく冷ましてくれ、しかしすぐにまた寒くなったので、とぷん、と澄んだお風呂に浸かる。
柵のあいだから、続いて上から、外に広がる果てしない暗闇をためつすがめつ見てみる。本当に、ただただ深い夜が沈殿しているだけに見えたが、ときおりそこで、赤や緑の光が点滅するので、おそらくあの静かな暗がりは、広い、広い海なのだろうと推測する。空と海は互いに溶けてまざりあい、境目はまったくわからない。二つは一体となり、ただ、ゆるぎない世界としてそこにある。
 隅々までよく眺めてみると、真っ暗闇の端のほうに、まるで天の川のように光の群れがまとまっていて、そこがおそらくこの湾の果てのようだった。星々が瞬くように白い光が点在する中、ひときわ大きな明かりがひとつあり、そのいわば一等星が、海の上に光の道を作っていた。細く長く、白く、きらきら揺れる三角柱。そのきらめきのおかげで、そこが確実に海だとわかる。
 ソフトクリーム。
 白色のかがやきを眺めていて、唐突に思い出した。そうだ。まぼろしの味の三つ目。まずは夜中のおさしみ、そして熱のときのポカリ、それから三つめは、誰かと食べるソフトクリーム。
 大好きな食べ物だけれど、一人のシチュエーションでは、なかなか食べる機会がない。そのスイーツに出会えるのはたいてい、サービスエリアとか、観光地とか、誰かと一緒に行きたいところ。思い返せば、ソフトクリームを食べるとき、僕は必ず、孤独ではない。
 たっぷりお湯につかったせいで、ほとんどのぼせたように全身が火照っていた。あがったら、自販機でポカリを買って飲もう、と考えながら、僕はいつまでもそこにいて、海に浮かんだ光のソフトクリームを眺めていた。

 しつこいアラームのスヌーズ音で目が覚める。眠い目をこすりながらスマホの画面を確認すると、時刻は六時二十分だった。少し寝すぎてしまったらしい。慌てて浴衣の上にパーカーを着て、寝癖を水で適当に整え、僕は部屋を飛び出した。
 日の出の予報時刻まで、あと四分しかない。本当は、温泉からあがった時点ですでに四時近かったので、もっとぐっすり寝ていたい気持ちもあったけれど、やはり、せっかく来たのだから、名物の日の出も見て帰りたい。
 一段飛ばしで階段を駆け上がり、屋上へ出る。初冬の朝は、寒さでつんととんがっていて、思わず両腕を胸の前で組む。だだっ広い屋上を見渡すと、先客が一人だけいた。腕を遠く、海のほうへ伸ばしながら、その景色をスマホのカメラにおさめようと夢中だった。
「……おはよう」
 後ろから声をかけると、その人は、驚いたように素早く振り返り、僕の顔を見て、とても嬉しそうに笑った。
「おはよう。早起きだね」
「うん」
 その続き。僕が本当に言いたいこと。つっけんどんな返事じゃなくて、冷たい相槌でも、乾いてひび割れた沈黙でもなくて、素直な言葉。思っていること、お母さんにも聞いてほしいこと。
 しかし、やっぱり言葉はうまく出てこず、僕は黙って、目の前に広がる海を眺めた。
 ブルーグレーに染まった冬の朝。海は冷たい青色、もしくはみどりにも見える。のっぺりと均一に広がり、黙々と凪いでいるその様子は、自然と心が惹きつけられるものだった。荘厳でドラマチックなのに、すべてがごくあたりまえといった風情の貫禄がある。海。大きな水のかたまり。一度にこれほどたくさんの水を見たのは、もしかすると初めてのことかもしれなかった。
 朝は寒いね。海、綺麗だね。昨日、楽しかったね。連れてきてくれてありがとう。会社、続かなくてごめんね。前に進めていなくてごめんね。お母さんは、本当はどう思ってる? ごめんね。ねえ、海って、こんなに見とれてしまうほど、綺麗で、ありがたいものなんだね。
 何も言えないまま、はるか遠くの空で、茜色に熟していく一粒の明かりを見ている。その感動的なオレンジは、どんどん光の強さを増して、まるで熟れすぎた果実の肉が、たっぷりの果汁とともにほどけるように、右に、左に、海の上にものびていく。朝日だ。この町をうるおす美しい水が、ここから、朝を連れてくる。
「お母さん」
 そうやって呼びたかった、ずっと。すべてのプライドを忘れて、卑屈をやめて、素直に、自分の声で呼びたかった。お母さんのことを呼びたかった。
「今日、ソフトクリーム食べに行こうよ」
 やはりどうにも気恥ずかしくて、照れ隠しのようにスマホをさわり、昨晩、眠る前に見つけた画像を開いて見せる。
「この、かもめの玉子のソフトクリーム」
 それは、黄味あんがモンブランのように贅沢に絞られた金色のソフトクリームで、てっぺんにはかもめのつばさのように、ホワイトチョコがトッピングしてある。ソフトクリームは誰かと食べたい。この幸せな食べ物を味わうとき、孤独の反対側にいることを、甘みとともに実感したい。
「……うん。行こうね。楽しみだね」
 母はそういって、何度もうなずきながら笑った。
 たくさんの水が流れている町。ずっと気付いていなかっただけで、すべては、僕を巻き込んで流れているのだ。水が流れるから、時間が進む。朝日がのぼり、海をかがやかせ、光は世界いっぱいに満ちて、新品の今日が始まる。僕は毎日新しくなる。
 流れる。だからきっと大丈夫。世界を信頼するだけで、きっと何かが変わる気がする。
 今日は、特別なソフトクリームを食べに行く日だ。